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2011年 05月 08日
河野太郎議員のブログで報告されています。
「8日に高濃度の放射性物質の放出が行われる」と。 ニュースでも報じられているのは、 福島原発の浄化作業による、二重扉の開放。 外部環境に影響の無いレベルの、微量の放射性物質が大気中に放出。 こうも、意見が分かれるとどちらを信用していいのか。 危機管理は最悪の状況を想定することなんだそうです。 なるべく、外出しない。 を、おすすめします。 でも、僕は明日は仕事。 妻と子供たちは、妻の実家の埼玉から帰ってきます。 3.11以前の日常はもう戻ってこない。 以前考えていた、最悪の事態が、日常となっています。 この程度ならって感じ始めている自分がいます。 みなさんも、風化し始めていませんか? まずいですよね・・・。 #
by milele-zakka
| 2011-05-08 00:04
| 日々のこと
2011年 05月 07日
多くの人々の想いが届いたのでしょうか?
世界で一番危険な原発がようやく停止します。 やっと、政府が動いてくれました。 浜岡原発は、活断層の上に建っています。 静岡県を震源とする直下型の地震が、 そう遠くない未来に起こりうる可能性はかなり高い確率で報告されています。 もし、大きな地震が発生して、想定外な事が起これば・・・。 大気にばら撒かれた、放射能は風に乗り、 首都圏は確実に高い汚染が拡がります。 人口が集中する地域での深刻な汚染は、 チェルノブイリや福島での事故をはるかに凌ぐでしょう。 日本は、完全に機能を失ってしまいます。 3.11以上のパニックが起こり、収まりがつかない事態になるでしょう。 学の無い、僕でもある程度の予想がつくのだから、 一国を担う政治家や官僚はもちろんとっくに気が付いていたでしょう。 生活が多少不便でも、 景気が少し落ち込んでも、 生命には代えられない。 想いは伝わる。 一人では、小さい力が、 多くの想いが集まって、 とてつもない大きな力が生まれる。 #
by milele-zakka
| 2011-05-07 00:14
| 日々のこと
2011年 04月 24日
僕は、震災があってから、何か時間があれば手を合わせて、
祈りを捧げようと思って、それをしてきました。 決して、偉そうなことではなく、お金もいらない、偽善なんかじゃない。 ただ、右手と左手を合わせるだけ。 そんなことして、何になるの?って思う人もいるでしょう。 でも、手を合わせたときの温かさって、いったいなんでしょう? 簡単には証明できない強い力があると思うんです。 通勤途中の電車の中。太陽の温かさに手をかざしてそのまま合わせる。 寝る前、起きた時。咲いている花に、気持ちの良い風に、道を這うアリに、 カラスに、猫に、笑っている赤ちゃんに、僕の家族に。 そして、震災や原発で被災された方々に、今必死で現場で尽力されている方々へ。 みんなに見られるところでは、ひっそりと手を合わせ、 誰もいないところでは、しっかりと手を合わせていました。 すごくきもち良い行動です。 何にもならないにしても、誰にも迷惑はかけませんよね。 だったら、ほんの一瞬でもいいから、祈りませんか? 日本人は、戦後アイデンティティーを奪われ、大きなものを失いつつあると 思うのだけれど、神社や寺で手を合わせる行動は、 無意識に日本人の中に秘められている、大事なものがまだ失われていない証拠だと感じます。 4月24日(日)正午に皆で祈りを捧げよう~哲学者・内山節さんからの呼び掛け 東日本大震災で亡くなった人々を、みんなで供養しよう ―亡くなられた方々の冥福を祈る日をみんなでつくりだすことを呼びかけますー 最初の呼びかけ人・内山 節 日時 2011年(平成23年)4月24日日曜日 この日にそれぞれの場所、それぞれの方法で亡くなられた方々への冥福を祈りまし ょう。また12時正午にはみんなで祈りを捧げたいと思います。 方法 ご自身の信仰をおもちの方はその方法で、また他の方々はそれぞれが思い ついた方法で。被災地の方角を向いて手を合わせる、仏壇などをおもちの 方はお線香を上げる、近くのお寺、神社、教会などに集まり祈りを捧げる、 ご自宅に思い思いのデザインの半旗を掲げる、追悼の集まり、コンサート などを開く、・・・・方法は自分がよいと思う方法で、自分のできる方法で。 国葬のような儀式にするのではなく、全国津々浦々でみんなが送る日にし たいと思います 東日本大震災は私たちのなかに驚き、恐怖、悲しみとともに、自分自身もまた「支え合う社会の一員でいたい」という強い意志をも生みだしました。皆様もそれぞれの場所、それぞれの方法で、直接、間接的な被災者への支援の活動をおこなわれていることと思います。私たちの役割はこれからも持続的な支援活動を続けながら、被災地の復旧、復興に協力していくともに、この直接、間接的な活動をとおして社会とは何か、社会はどうあるべきか、暮らしや労働をどう変えていったらよいのかなどを捉え直し、日本の社会を再生させていくことだろうと思います。 その意志を示し、未来への歩みをすすめるために、みんなで東日本大震災で亡くなった方々を供養する日を設定することを呼びかけます。 古来から日本の社会には、災害や「戦」などの後に亡くなられたすべての方々の冥福を祈り、死者供養をする伝統がありました。「戦」の後には敵味方を区別せず供養しました。またそのときには人間だけではなく、巻き込まれて命を落としたすべての生き物たちの冥福を祈りました。さらに災害の後には、大地が鎮まることをもみんなで祈りました。そうすることによって、悲劇に巻き込まれていった生命への思いを共有し、ひとつの区切りをつけ、次の歩みに向かう入り口をつくりだしてきました。 この度の大災害で亡くなられた方々に対してはすでにご遺族の方々などの手によって、精一杯の供養がおこなわれたことだろうと思います。しかしその一方でご家族が全員亡くなられるなどして、誰にも送ってもらうことができないでいる人たちもおられると思います。そのような方々に対してはもちろんのこと、すでにご遺族の方々なとによって供養された人たちに対しても、みんなで追悼、供養してあげようではありませんか。そうすることによって、これからの私たちの決意をも示したいと思います。 この案内を受けられた方は、ご友人、お知り合いなどに転送し、この呼びかけを伝えてはいただけないでしょうか。またホームページ、さまざまなSNSなどでも呼びかけ合うとともに、供養の方法を提案していただければ幸いです。お寺、神社、教会などにも呼びかけ、私たちはこの災害とともにこれから生きていくことを確認したいと思っています。 亡くなられた方々を十分に追悼することなく、未来を語ることに私はためらいを感じます。ここからはじめませんか。 #
by milele-zakka
| 2011-04-24 01:35
| 日々のこと
2011年 04月 23日
今日、通勤時電車に乗ったらたくさんの学生さん達。
次の駅には有名男子高校、有名女子高校があるからですね。 彼らは、友人と思い思いの話をしていました。 ギュウギュウの車内で別に聞き耳を立てていたわけではないのですが、 今の、情勢について話している子達はいませんでした。 学校では、話し合いがあったのでしょうか? 学校の先生が不安にさせないように、大丈夫だからの一言で終わってしまったのでしょうか? それとも、もともと興味が無いことなのでしょうか? ふと、見上げるとドアの上に某進学塾の広告がありました。 大変な時だけど勉強しようのようなキャッチコピーが掲げられていました。 なんだか、ざらりとした感覚が残りました。 これからも、学歴社会って続くの? 今の出来事は間違った教育からきたのではないか? 頭のいい人は、今の世の中を平和に導いてくれるの? 朝から晩まで、勉強漬けの人は、 自然に生かされている事を知っている人はどれくらいいるのでしょうか? お年寄りや、子供、家族や隣にいる他人を敬うことを何処で知るのでしょうか? 大切なのは、お金や物じゃないって誰が教えてくれるのでしょうか? はい!また、元通り。 なんて、もう現実逃避はやめようよ!! 僕らの未来は僕らが握っている。 決して、他人から与えられるものではない。 今回の、原発事故はまさしく僕らの無関心が生んだ事故でしょう。 僕らが変わらなきゃ!! 何を思い、どう選択したかで、世界は大きく変わる。 海外も、日本の対応を厳しい目で見つめている。 以前すっごく、嫌なイメージが頭をよぎりました。 僕の娘が十代までに成長して、ベッドに横たわりこう言うのです。 “なんで、あの時避難してくれなかったの” その時、僕はここに残り、ここで出来ることを一生懸命やってきたことを、 濁りなく、説明できるような生き方をしていきたいと強く思いました。 そのイメージが決して現実のものとならないように・・・。 #
by milele-zakka
| 2011-04-23 00:25
| 日々のこと
2011年 04月 07日
こういうサイトがあるとすごくありがたいです!!
候補者のエネルギー政策を知りたい有権者の会。 こちらで、候補者の原子力発電についての政策が分かります。 神奈川県知事候補の方々はじめ、各県の候補がしっかりと回答しておられます。 しっかりと判断して、投票しましょう。 #
by milele-zakka
| 2011-04-07 22:33
| 日々のこと
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